ねぶたの由来

ねぶた祭りは、いまから1300年ほどまえに中国から渡来した七夕祭と、古くから津軽にあった精霊送りや人形送りなどが一体化したものと言われています。その祭りに登場する練り物の中心が「ねぶた」と呼ばれる灯籠で、それを七夕の夜に川や海に禊(みぞぎ)として流すことで穢れ(けがれ)を払い、人々の無病息災を祈りました。

ねぶたは、眠たいの方言の「ねぶたい」や「ねんぷて」が訛ったものと考えられています。秋の収穫前に労働の妨げとなる睡魔を追い払うため、灯籠などの形代に睡魔を委ねて祓え流す「眠り流し」という習慣があり、これがさまざまな祭りになって発展しました。

眠り流しにまつわる風習は全国でもみられましたが、とりわけ東北地方で発展しました。青森の「ねぶた」や弘前の「ねぷた」の他、秋田の竿燈まつりや能代のねぶながしも、「眠り流し」の行事といわれています。

ねぶたの歴史

古くから日本の良き伝統として続くねぶたは、時代の移り変わりとともに変化しいきました。 時に、ねぶた祭りは青森の人々の心の支えでもありました。戦後の第一次ねぶた隆盛期を迎えると、ねぶた制作の技術は飛躍的に進歩し、以前にも増して活気づいていきました。

太平洋戦争前後

  • 昭和12年〜18年
    昭和12年〜18年
    日中戦争中。ねぶたは中止されていた。
  • 昭和19年
    昭和19年
    戦意高揚の意味から18台のねぶたが運行されていた。
    その中には「桃太郎の鬼退治」ならぬ当時のアメリカ大統領を揶揄した「桃太郎のルーズヴェルト退治」なるものも登場したという。

終戦

  • 昭和20年7月28日
    昭和20年7月28日
    大空襲によって青森市内は一面の焦土と化し、当然のことながらねぶた祭りは行われなかった。
  • 昭和21年
    昭和21年
    ねぶた祭り早くも復活
  • 昭和22年8月20日
    昭和22年8月20日
    市と海運局との共催で正式に「戦災復興港祭り」を8月20日から3日間開催。ねぶたは30台ほど運行された。このころは港祭りの中のひとつのアトラクション的な存在であった。

第一次ねぶた隆盛期と技術の進歩

  • 昭和23年
    昭和23年
    ねぶた13台が出陣。戦後の混乱が続いているために台数も把握されておらず、実際にはもっと多かったと思われる。
    戦災復興の名のもとに市内の町内会や周辺の村からの参加が急激に増えていき、二十年代は毎年数十代にのぼった。この頃のねぶたは幅5〜6m、大きいもので7mに及んだ。 当時、ねぶたの骨組みには竹が使用され、照明はろうそくに替わって船舶用電球が使われた。昭和32年に港祭りから独立し「青森ねぶた祭」となる。

ねぶたが出来るまで

ねぶたの制作期間は、約1年間。毎年8月のねぶた祭りが終わると、来年に向けて題材を選び、原画を描きはじめます。題材は日本の伝説や三国志、水滸伝など様々ですが、全てに歌舞伎やお芝居のような雰囲気があります。ねぶた師は、1年の制作期間に命をかけて取り組みます。

  • 題材と原画

    01題材と原画

    題材と原画

    01.題材と原画

    歴史的な物語などを題材に構想を練り、構想がまとまると原画を描きます。ねぶたには設計図がなく、この原画が完成までの設計図の役割となります。

  • 細部の下ごしらえ

    02細部の下ごしらえ

    細部の下ごしらえ

    02.細部の下ごしらえ

    針金で、顔・手・足・刀・槍などの細部をあらかじめ作っておきます。寸法の割り出しは比例式で計算します。冬頃に始まり、春の小屋がけ寸前まで作業がつづきます。

  • 小屋がけ

    03小屋がけ

    小屋がけ

    03.小屋がけ

    ねぶたの制作と収納のために、鉄骨を組み、シートをかけたねぶた小屋を作ります。小屋の大きさは、間口12m、奥行12m、高さ約6〜7m。5月上旬には22棟の小屋が完成し、本格的な制作作業に入ります。

  • 骨組み

    04骨組み

    骨組み

    04.骨組み

    角材で支柱(親骨)を作り、木工用接着剤をつけた糸で針金を組んで固定し、紙が貼れるように全体をメッシュ状にかたちづくります。昭和30年頃までは、針金ではなく竹を使用していました。

  • 電気配線

    05電気配線

    電気配線

    05.電気配線

    昔はろうそくを使っていましたが、今は専門の電気配線スタッフがねぶたの内部に20W〜60Wの電球や蛍光灯を800〜1000個ほど取り付けます。近年はLED化も進んでいます。電源は発電機を使います。

  • 紙はり

    06紙はり

    紙はり

    06.紙はり

    出来上がった骨組みに木工用接着剤を使ってひとマスずつ奉書紙を貼ります。接着剤がはみ出さないように、さらに紙の曲面をうまく出して貼るのが難しく熟練を要する作業です。ここまでくると、かなりねぶたらしくなります。

  • 書き割り(墨書き)

    07書き割り(墨書き)

    書き割り(墨書き)

    07.書き割り(墨書き)

    迫力をかもし出す筆法で手や足、衿、帯、着物の線などを書き分けていきます。紙が貼られた白いねぶたに墨が入れられ表情がでてきます。この作業はねぶた師が一人で行います。制作者の個性が大きく表れる工程です。

  • ろう書き

    08ろう書き

    ろう書き

    08.ろう書き

    書き割りと同時にパラフィンを溶かして目や衣服の模様にろう書きをします。ろうが塗料をはじくため、色のにじみを防ぎ、また、ろう書きの部分が光をより通すため明るさを強調することができます。

  • 色付け

    09色付け

    色付け

    09.色付け

    残った白地に色をつけます。染料や水性顔料約30色を使い、筆書き筆塗り又はエアブラシで彩色していきます。これでねぶたの本体は完成です。

  • 台上げ

    10台上げ

    台上げ

    10.台上げ

    6月下旬~7月中旬に高さ2mの台車に、40〜50人がかりでねぶたを上げます。これで全体の高さは5mくらい。台車の中央部に大きな二つの車輪があり、その上部に発電機が載せられています。制作者たちの感激の一瞬です。

ねぶた師について

青森ねぶたは、もともと町内会等の運行団体で手先の器用なねぶた好きの人たちの手によって制作されていました。年々、制作技術が高まるにつれ、ねぶた制作者は固定化、専門化していき、いつしか「ねぶた師」と呼ばれるようになっていきました。 その中でも極めて高い技術でねぶたを制作し続け、ねぶた祭の振興に貢献してきたねぶた師を「ねぶた名人」に推奨し、昭和33年から平成2年まで4人がねぶた名人に。また、平成24年には22年ぶりに2名の名人が誕生。

ねぶた名人

  • 初代
    北川 金三郎(昭和33年8月22日受位)
  • 2代目
    北川 啓三(昭和60年6月7日受位)
  • 3代目
    佐藤 伝蔵(昭和61年8月11日受位)
  • 4代目
    鹿内 一生(平成2年8月1日受位)
  • 5代目
    千葉 作龍(平成24年8月1日受位)
  • 6代目
    北村 隆(平成24年8月1日受位)

ねぶたに新しい風

ねぶた師は、子供が将来なりたい職業ランキングでも常に上位をとるほど、憧れの職業として有名です。しかし、一流のねぶた師への門は狭く、情熱や目標をもってしても経済的な面から諦めてしまうことが少なくありません。華々しいねぶた祭りの裏では、ねぶた師の後継者問題が年々深刻化しています。

その問題に真っ向からメスを入れるのは、2014年、2015年と青森ねぶた本体の最高賞である「最優秀制作者賞」を2年連続で受賞し、青森ねぶた史上でも類を見ない題材選びと、独創的な色彩感覚で次代への新しい扉を開いてきた、異才のねぶた師「竹浪比呂央」

竹浪比呂央

ねぶた師の後継者育成のために

ねぶた師は、子供たちの憧れの職業であり、また多くの人から尊敬される存在です。けれども経済的な側面から見ると、ねぶた師への道は極めて厳しいものです。

大型ねぶたの実制作は季節労働であるため、一人前になるまで10年はかかるといわれる修業期間にも、他に定職に就くことはできません。かつては第一線のねぶた師でも、冬の間は出稼ぎに出る人もいたといいます。

この現状を変えるため、竹浪比呂央ねぶた研究所だけではなく、全てのねぶた工房の参画を募り、大型ねぶたの制作を大きな柱としながらも、ねぶた独自の技術と感性を活かした多彩なデザインプロダクツの制作を目指しています。

そこから生まれた商品群を、世界市場に向けて販売していくことで、ねぶた師をめざす若者たちに生活基盤を提供し、後継者育成によるねぶた文化の永続性確保に寄与していきたいと日々活動しています。

手塚茂樹

紙の造形に無限の可能性

手塚 茂樹(てづか しげき)

1975年、青森県青森市生まれ。5歳のとき見たねぶたに大きな衝撃を受ける。高校時代にねぶた制作の道へ入り、2001年から竹浪比呂央に師事。2002年より展示用ミニねぶたを制作。2006年からは、歴史ある地域ねぶた、『浅虫ねぶた』の制作を担当。2014年、初の大型ねぶたを制作。

2015年の青森ねぶた祭で運行は出来なかったものの日本中を騒がせた「スターウォーズねぶた」は、若手ねぶた師4人が1台ずつ制作。ダースベイダーなどの「シスねぶた」を手がけた手塚氏は、紙の造形の可能性を多くの人に知ってほしいと語る。

跳人はねとについて

跳人(ハネト)とは、ねぶたと一緒に街を練り歩きながら「ラッセラー」の掛け声とともに「跳ねて」踊る人々のことです。青森ねぶた祭を観客として観るだけでなく、正装していれば誰でも自由に参加ができるところも魅力のひとつです。 始まりは明治の中頃、花街の女衆が襦袢で祭りに参加し、踊ったのが始まりとされています。 踊りは基本の型があり覚えるのも簡単ですが、ねぶた運行中は掛け声のリズムに乗って好きなように跳ねていますので参加する敷居も高くはありません。

ねぶた囃子ばやしについて

七節からなる澄んだ深みのある笛、体の芯まで響き渡るチカラ強い太鼓、シャンシャンと独特な金属音の手振り鉦が三位一体となって音を奏で、ねぶた祭りを盛り上げます。跳人の「ラッセラー」の掛け声によく合う独特のリズムとメロディで、街中を熱気に包み込みます。